自己紹介

1955年生れ。大阪市立大学経済学部卒,いすゞ自動車勤務の後,大阪市立大学大学院経済学研究科へ。大阪市立大学経済学部助手~同教授(2020年3月末まで)。博士(経済学:『舶用蒸気タービン百年の航跡』)。主著『三菱航空発動機の技術史(上下)』,『ピストン航空発動機の進化(上下)』大河出版,2019年(近刊)。
日本産業技術史学会賞 1988年(『日本のディーゼル自動車』)
日本学術振興会専門委員,NEDO機械技術委員等を経験

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☞  IRDB( https://dev.irdb.nii.ac.jp/) → 坂上茂樹,山岡茂樹

主和音フォルテで終わります…………着陸時における航空発動機の空吹かし運転

飛行機は着陸滑走の途中,これでは所定の位置をオーバーせねば停止できぬと判断された際には発動機出力を急増させ,離陸・再上昇を試みることになる(Touch-and-go)。
ピストン航空発動機の全盛期にはそのための予備的手続きとしてプロペラの翅ピッチをあえて高速位置に起し,回転に対する抵抗(発動機負荷)を大とした上で滑走中に発動機を強く吹かし,着陸進入(アプローチ)と滑走の間,徐々に冷えて来た気筒温度の更なる低下を防ぐ,あるいはむしろ筒温を積極的に高めておくというウォームアップ動作が慣わしとされていた。
《小林 勝『内燃機關の取扱法及び試驗法』山海堂,1940年,164~165頁,参照》
制爆剤として航空ガソリンに添加される四エチル鉛は好ましくない燃焼生成物を随伴したから,この操作には四エチル鉛に由来する燃焼室内堆積物を機体が停止し発動機がアイドル運転を終えて切られる前に力ずくで吹き飛ばしてやろう,という狙いも込められていた。
《ピストン航空発動機技術史全般については拙著『ピストン航空発動機の進化 (上下)』大河出版,2019年(近刊)をご覧頂ければ幸いである》
この空吹かしによって勇ましい爆音が轟いても,機体の低い対気速度とプロペラ翅ピッチとが全く適合していないため,推力はほとんど発生しないが,減速率を高め着陸滑走距離を短縮させるパワー・ブレーキ作用は皆目,発動されなかった。
船の可変ピッチ・プロペラと同様にパワー・ブレーキ機能を体現する可逆ピッチ・プロペラが航空界で実用になったのは漸く第二次世界大戦も終末期を迎えた頃のアメリカにおいてであり,その本格的活用は同じくアメリカで戦後の事蹟に属する。そして,戦後,これが航空界全体に普及した。
この可逆ピッチ・プロペラはレシプロからターボ・プロップの時代へと引き継がれて行った。図はイギリス製可逆ピッチ・プロペラの広告写真。機体はヴィッカースのViscount 700,発動機はロールス・ロイスのDart 505型ターボ・プロップである。

       
P., Wilkinson, Aircraft Engines of the World 1952. N.Y., 1952, p.30.

今日,大形プロペラ機が着陸滑走時,フォルテの爆音を轟かせていれば,それは十中八九,否,ほぼ100%の確率でこのパワー・ブレーキの発動音であり,もちろん,それはターボ・ファン・エンジンにおける逆噴射(リバース)に対応する所作でもある。
また,YouTubeでは新明和工業の救難飛行艇US-2が水上を後退している動画を閲覧することができる。これも可逆ピッチ・プロペラあっての挙動である。→ https://www.youtube.com/watch?v=3V0x1YWIAc8
序でながら,自動車や自動二輪車においても停車後,エンジンを空吹かしする輩をまま見かける。これとて,未だしも自動車用ガソリンに四エチル鉛が添加されていた時代なら,航空発動機のマネとしてご愛敬であったかも知れぬ。それにしても,自動車用ガソリンに対するその添加量はごく僅かであったから,当時においてさえこの空吹かしに大した技術的意味は無かった。
まして,今それをやるなどハタ迷惑以外の何でもない。主和音フォルテで終わるのは音楽と大形機だけにして欲しいと願うばかりである。

二人でドアを閉めて……丸い一体型ドアノブを得るための古い工程技術

名前を消すのに使ったのは除光液であろうか? 閉ざされたドアのノブは一体どんな金具であったのだろうか?
最近のドアにはノブにも取っ手にも洒落たモノを多く見かけるが,この歌詞のドアは余り豪華でもなさそうである。そう言えば,昔は真鍮製の丸いドアノブがよく使われていた。
大抵の場合,あの手の丸いノブは鋳物ではなく,板金からの成形品であった。では,いかなる工程によってあのような丸い物体が成形されたのであろうか……以下,暫く往時の塑性加工技術の一端について紹介してみたい。

1.drawing:絞り加工とは
件のドアノブの成形行程において出発点に位置したのは絞り加工である。金属板からコップのような深さのある回転体を成形する工程を絞り加工,深く絞る工程を深絞りと呼ぶ。絞り加工は次の3種に大別される。
1. 型絞り die drawing
2.へら絞り metal spinning
3.叩き出しないし打ち出し hand-hammering
《文部省『学術用語集 機械工学編』日本機械学会,1957年,同増補版,1985年,参照。機械用語辞典編集委員会編『機械用語辞典』(コロナ社,1972年)にはこの意味での語義登録が欠落している。これは全くの手抜かりである》

1.の型絞りは焼き鈍された金属円板(ブランク)をプレス型によって塑性変形させる工程であり,プレス加工の一種である。次図はブランク(素材)とシェル(成品:せいひん=ある工程の完成品)との関係を示す。


Machinery’s Cyclopedia with 1929 Supplement. Vol.II, p.409 Fig.2.

ブランクの直径Dとシェル各部の寸法,つまりd,h他との関係は20世紀はじめのアメリカでは次表のように定められていた。


from ditto., p.411.

ワーク(シェル)と絞り型,パンチの相互関係やそれらの使用状況は次図に例示されている。Aがブランク。BとCはFによる,DはGによる,EはHによる成形品である。


ditto., p.412 Fig.3.

図のFにおいてfは絞り型,gは成品を抜くためのノックアウトないしイジェクタ,hはブランク・ホルダ,iは絞りパンチ(ポンチ),jはガイドピン,kはダイ・ボルスタである。lはワッシャ,nはゴム製のクッションである。
iとkは動かない。gを伴ってfが下降すればブランクの外縁部はfとhとに挟まれ拘束される。hはjを介してクッションゴムnを圧縮しつつfの下降に従う。以上の相対運動によりブランクの中央部はfとiによってBやCにおけるような凸形へと塑性変形させられる。この時,型,パンチ,ブランクに潤滑材を適度に塗布することが必要となる。

2.の“へら絞り”とは“へら旋盤”にブランクを取付け,回転させ,その表面に作業者が “へら”を押し付け,絞って行く技能依存的加工々程である。シワの発生を防ぐために内外から“へら”を当てる場合もある。左図はラッパの朝顔状の,右図は灰皿のような成品の成形を示す。この場合にも潤滑は欠かせない。


川崎正之・伊藤 鎭『機械工作法』日本機械学会,1952年,上巻,209頁,第5・41図。

少量生産の場合,プレス加工はコスト高となるため,今日でも“へら絞り”が用いられる。

3.の“叩き出し”ないし“打ち出し”は一品生産的な工程に相応しいトンカチ技術である。

2.drawingによる一体型ドアノブの製造法
次図のAは通常の深絞りの成品である。次に,最初に絞ってから取出されたシェルAを焼き鈍し,B~Dへと次第にヨリ深く絞って行く(再絞り)。


Machinery’s Cyclopedia with 1929 Supplement. Vol.VII, p.254 Fig.10.

次図において上はAを得る工程,下はBを得る再絞りの第1工程を示す。


from Machinery’s Cyclopedia with 1929 Supplement. Vol.II,p.407 Fig.1.

はじめの図のE~Hにはテーパ付きの孔を穿たれたパンチを用い,段階的に頭を丸めて行く手順が示されている。この丸め工程には孔が塞がるまで丸めて行く場合と,途中で止めて円板状の“ボタン”を嵌め込み,ハンダ付けして孔を塞いでしまう場合とがあった。

3.drawingとbulgingによる一体型ドアノブの製造法
次図には絞り加工とバルジ加工とを併用する一歩進んだ工程が示されている。Aは深絞りによるコップ。B~Fはテーパ孔付きパンチによる成形,G,Hはバルジ加工による工作の結果である。


Machinery’s Cyclopedia with 1929 Supplement. Vol.VII, p.254 Fig.9.

バルジ加工とは空胴部を持つ割り型の中にワーク,ここではFを収容して型を締め,Fの内部に高圧の液体を注入してワークを空洞一杯に膨満させる工法である。次図A-Bが割り型の合せ面である。これにワークFを収容して型ケース内にセットし,クサビCで合せ面を強固に密着させる。


ditto., p.254 Fig.11(誤解を生まぬよう若干,改変).

次に,ワーク内部に水または油を充填し,パンチDをセットしたプレスを作動させる。DがワークFの首に突入すれば行き場を失った液体はFをGの形状にまで膨らませる。EはFとパンチDとの隙間から噴出する液体の飛散を抑える円錐状のガードである。通常,Hまで変形させるにはワークを型から取出して焼き鈍した後に再度,バルジ加工を施す。
《1段のバルジ加工でHまで変形させるにはヨリ粘りのある高価な材料が奢られねばならない。1段と2段,何れの方式が安上りになるかは生産技術者としての思案のしどころである》

4.bulgingの用途
バルジ加工の主な用途は曲管や複雑な断面形状を持つ金具の成形にある。A~Cは“J”字管成形の例である。“J”字型の空洞を持つ型の縦棒部に試験管状のワークAを挿入し,油ないし水圧で延伸・屈曲させ,曲り部を成形する。これは管の内部に砂を充填してから文字通り曲げて行く古典的工法より遥かに能率的であるが,量産がその採用の前提となる。D~HにはE,F,Gに対応する3つの型で順次,焼き鈍しては成形を重ねる例が示されている。


ditto., p.251 Fig.2.

次は自動車の砲弾型ランプ・シェルを成形に係わる例である。砲弾型のランプ・シェルはクラシック・カーなどにしばしば見られるアイテムである。


from ditto., p.251 Fig.3.

次図はワークDがEを成形するための型にセットされているところである。


ditto., p.253 Fig.8.

現今の半導体製造などとは対照的に,古典的な機械工作の世界においては同じような格好をした完成品に至るのにも様々なルートが用意されており,量産規模や投資能力,個別生産点における技術や技能のストック状況を勘案しながら工作技術の選択と条件付き最適化とが図られていた。時代を遡るほどにこの傾向は強く表れていた。想うに,そこに存在したのは当今のそれより余程,温かみと遣り甲斐に溢れる製造現場であったのではなかろうか?

赤や黄色の色様々に…………………………運転中における発動機各部温度測定のおはなし

季節はとうに過ぎてしまったか,紅葉が赤や橙色,黄色,それも様々なグラデーションを持ったそれとして華やかに自己主張するのは日本のような温帯,それもある緯度の地域に限られるようで,欧米では紅葉と言えば単色が普通であるそうな。そう言えば,日本でも高原地帯や北方のカラマツ林の紅葉は黄色一色である。
もっとも,今回の主役は色とりどりではあっても紅葉ではなく温度分布測定用温度表示色素という名の誠に情緒稀薄な塗料である。
その嚆矢はドイツが世界に誇った化学会社I.G. Farbenによって1930年代に発明されたテルモカラーである。これを運転中,高温になる機械部品に塗布しておけば,その永久変色により運転中における各部の最高温度(40~650℃)を知ることができる 。
それはある温度である色へと変色する単変色型と次々にその色を変える複変色型とに大別され,それぞれに特性を異にする型番がラインナップされていた。複変色型は永久変色である点を除けばあたかも当今のサーモグラフィーのような機能を担っていた。図はこれを航空発動機の気筒(気筒頭と一体化)に適用した例である

航空発動機気筒の温度測定例

三繩秀松『試驗及測定用機器』改訂版 山海堂 1944年 242頁次 グラヴィア 第303圖。

Aの内,1~8は単変色型,20,30,31は複変色型である。予め各部の到達温度に見込みを付け,適切な番手のテルモカラーを塗り分けておくところがミソである。

次図は機体装備状態の発動機各部温度の測定状況を示す。機体は石川島飛行機(→立川飛行機)の95式三型練習機,発動機は東京瓦斯電気工業(→日立航空機)製の神風式三型である。

東京瓦斯電気工業(→日立航空機)製神風式三型発動機の各部温度測定状況

同上書 第303圖(K)。

また,次図は同上発動機各部温度測定の結果を拡大表示したものである。

同上発動機各部温度測定結果の拡大表示

同上書 第303圖(J) プロペラ回転後30分

摺動部分についてはテルモカラーをその裏側に塗布して温度測定が行われた。その国産類似品としてサーモカラーと称するモノが開発製造された。理化学研究所の稲葉見敬博士らの研究によるもので,適応最高温度は500℃程度であった。
なお,ヨリ高い温度の測定が必要とされる場合,部品に小さな空所を穿ち,その内部に様々な融点を持つ可融合金(fusible alloys)片を封入し,運転後に取出し,合金片のカドや全体の溶融状況を観察して最高到達温度を推定する面倒な手口が用いられた。可融合金は電気ヒューズと同類の低融点合金であり,段階的に様々な融点を持つものが揃えられていた 。
いずれもサーミスタや熱電対が十分,実用に堪えるようになる以前に発明された技術であるが,今でも可逆性,不可逆性の温度表示色素の方は塗るだけ,シールにして貼るだけで危険な温度上昇を教えてくれるため,産業界では広く用いられている。

灘の生酒に肴は鯨   捕鯨について考える

メイン・タイトルは1928年に出た歌の二番冒頭。歌い手は著名なハーフのテノールで,子供の頃TVで視たその印象は実に鼻持ちならぬ爺さんといったところである。この男が高唱すれば歌詞とも相乗していかにも勇ましいパフォーマンスとなった。
しかし,技術論として観れば当時の捕鯨は未だその勇猛さの極致には達していなかった。捕鯨反対論や日本のIWC脱退など,かまびすしい世相であるが,こうした点について暫し考えてみたい。

キリスト教の目的論的自然観
西欧的な捕鯨反対論の根底にはキリスト教一流の目的論的自然観があるように想われる。即ち:星は真夜中に方角を知らせるために造られた,馬は運輸用具として造られた,牛や豚は食肉やミルクや皮革を提供するために造られた,羊や木棉や麻は繊維を提供するために造られた……といった観念である。
勿論,創造したのは神であり,それらを利用させてもらう役得は人間様だけのものである。つまり,そこに見られるのはご都合主義そのものの世界観である。さればこそ,ガリレオが粗末な望遠鏡を初めて夜空に向け,肉眼では見えぬ数多の星を発見したことは同時代のキリスト教団にとって怪しからぬ所業であった。何故なら,目視できぬ星たちに方角をヒトに教える機能など備わっていよう道理などある筈もないからである。
序でながら,土星にツノ(輪)があることも天体=神界のもの=完全球体という既成観念に抵触したし,衛星を従えた木星があたかも地動(太陽中心)説に謂う太陽系のひな型のごとき様相を呈していることも許し難い発見であった。 
キリスト教は鯨を知らぬ地域で誕生したからヒトに食われるべきモノという位置付けをそれに与える気構えとはそもそも無縁であった。そのような眼で捕鯨や鯨肉食を見れば自ずと邪教徒の蛮行という理解にもなろう。

西欧の捕鯨
もっとも,帆船時代のアチラにもかの『白鯨』に象徴されるような捕鯨文化があり,1841年,無人島に漂着していた中浜万次郎を助けたのもアメリカの捕鯨船である。但し,西欧流の捕鯨は低温でも粘らぬ高級油脂として高い利用価値を認められていたマッコウクジラの脳油獲得を目的とす行為であり,鯨肉など他の部位は概ね産業廃棄物であった。鉱油や合成油といった代替物が進化を遂げたことにより鯨脳油への,つまり捕鯨へのニーズは霧消して行った。裏を返せば誠に勝手なモノである。

日本の捕鯨
欧米とは対照的に,日本では次の図に示される通り鯨の利用は徹底的・体系的で,ほとんど捨てる部位なく利用し尽されていた。先ず,鯨の種類と大きさの比較から。

竹田繁夫著/資料・写真提供 大洋漁業 捕鯨船団 「捕鯨」,産業教育協会『図説 日本産業大系』第6巻,1961年所収,より。

次に,鯨の利用形態。

同上,より。

鯨の習性と捕鯨船の隠密行動
とは言え,そもそも帆船のごときを用いる時代から鯨が獲れていたことについて訝(いぶか)しく思う向きもあるかも知れぬ。それが可能であった理由は簡単で,鯨の習性を利用した隠密行動が画策されたからである。鯨は長時間潜航する能力を持つが,血液のガス交換を十全に行うには二呼吸やそこらでは済まず,何度も浮上しては呼吸を繰返す,つまり潮を吹くことが必要な生き物でもある。
この一連の長い呼吸動作の始まりを捉えるべく鯨を待ち伏せし,首尾よく発見できればカッター(手漕ぎボート)により急接近を図り,手投げ銛(もり)を放つ。つまり,それが可能な位置取りさえ叶えば捕鯨母船が帆船であってもキャッチャー・ボートが手漕ぎであっても立派に鯨を仕留められたワケである。

Steam Catcher時代
実は,隠密行動という点に関する限り,1864年,ノルウェーで蒸気船に大砲を載せた改造キャッチャー・ボートが誕生し,更には銛が捕鯨砲から発射されるようになってからでも同じであった。スチーム・キャッチャー(蒸気捕鯨船)に鯨を徹底的に追込んで仕留めるほどの船足はなかったからである。
その反面,蒸気機関はデッドスローからピークに至るまでその制御が自在で逆転も得意である上,騒音も低かった。この特性を活かし,漁場を前後左右に漂いつつ獲物を発見すれば極低速で秘かに忍び寄り,気付かれぬ内に銛を撃込む……これがスチーム・キャッチャーの運用法であった。
下の写真はキャッチャー・ボート用の3段膨張1000図示馬力レシプロ蒸気機関で540総トン型捕鯨船主機。その起源は古いものの,実際は石油が統制下に置かれていた戦後復興期の製品である。

The Uraga Dock Compny, Limited, Marine Steam Engine & Boiler. c.a., 1953,より。

これに蒸気を送るボイラは石炭焚きのスコッチ・ボイラであった。1000図示馬力レシプロ機関の方は戦時標準貨物船2DRS型の主機の流れを汲む製品かと想われるが,スコッチ・ボイラなど19世紀に起源を有する機械そのままで’39年時点における平時標準船にも採用されていなかったようなシロモノである。そして,件のいかにも勇まし気な歌は重く嵩張る割りに低出力のパワープラントを持つスチーム・キャッチャー時代の流行歌であった。

Diesel Catcher時代
しかし,両大戦間期よりモーター(ディーゼル)船の進出は著しく,捕鯨船においてさえ既に1937∼’38年にはディーゼル機関の軽量・高出力性を活かして鯨に気付かれながらも優速を以て強襲する勇猛にして暴力的なディーゼル・キャッチャーが提案・実用化されるに至る。
そして,世界初のディーゼル・キャッチャーを誕生させたのは他ならぬ日本であった。その嚆矢は1937年,林兼造船建造の大洋捕鯨,関丸297総トン(新潟-Nobel 2サイクル900制動馬力,14ノット),’38年,函館船渠建造の同,文丸359総トン(新潟-Nobel 1200制動馬力,15ノット)であった 。
それらの開発に先立つ’36年の秋にはディーゼルの騒音の影響や追い回された際に鯨が発揮し得る最大速度を確認するため,捕鯨関係会社と農林省水産局とが海軍省の協力の下,金華山沖にディーゼル駆潜艇(艦本式22号10型内火機械:最大速力22ノット)2隻を動員して大形の鯨を追尾する実験を敢行していた。その結果,鯨の最大速度が辛うじて14ノットであり,それも30分とは続かぬこと,ディーゼルの騒音に気付かれても14ノット以上で追尾すれば問題無いことが確認されていた 。
その後,この国では少数のディーゼル・キャッチャーが建造されたものの,“石油の一滴は血の一滴”という戦時体制下,高い生産性を発揮する新技術の普及と進化は商用モーター船一般のそれ共々,抑圧されてしまう。その結果,暫し生き永らえたのが件の捕鯨船用3段膨張機関というワケである。
しかし,戦後,時代の針路は改めてディーゼル化へと回帰する。敗戦国日本においてさえ石油製品に係わる統制は1952年7月に廃止されていた。重油とディーゼルさえあればキャッチャー・ボート用動力装置として従来,主役をなした鈍重・低効率なレシプロ蒸気機関や脇役を務めて来たパワーはあっても燃費劣悪の蒸気タービンなど早晩,お払い箱になったのは当然であり,やがては過給ディーゼルが目覚ましい発展を遂げ,最大速度19ノットに達するものも登場した。世界のキャッチャー・ボートもディーゼル・キャッチャーへと帰一した。下の写真は南緯40°を越えた辺りの暴風圏を征くディーゼル・キャッチャーの雄姿である。

竹田「捕鯨」,より。

次の写真は鯨を追い詰めたディーゼル・キャッチャーから日本独特の平頭銛が発射された瞬間。

同上,より。

100日余りの漁期が終る3月は結氷期となり,キャッチャーも“氷の華”に覆われた。

同上,より。

日本の捕鯨の行方
日本が,とりわけ今はなき新潟鐵工所(IHIの支援を受け,新潟原動機として再建・子会社化)が世界の魁を演じて拓いたディーゼル・キャッチャー時代ではあるが,今やその生産性,その挙動の積極性,暴力性が世界的に憎悪の対象になっているらしく,商業捕鯨は生存捕鯨と峻別され,捕鯨国の旗色は甚だ悪くなっている。
その挙句,2018年,日本はIWCから脱退した。多くの国々を敵に回し国際的孤立を選んでまで商業捕鯨の実施に固執すべき理由など無かろう。調査捕鯨と称して資源調査のために捕獲する,つまり殺すという所作が不可欠であったようにも信じられぬ。
また,私自身,給食に出て来たゴムのような物体はもとより,晩ご飯に登場した「おでん」の“ころ”や鯨のステーキ,“尾の身”の刺身の類も特別に旨いと思った覚えは無い。
それでも,この先,食糧不足で昆虫やその幼虫を食わされるようになるなどと聞かされると,「そんなモンより鯨の方がうんと上等やろ!」と居直ってしまう。
子孫に食わせる蛋白源として積極的にバッタや芋虫を加えるのも確かに一案なのではあろうが,時には鯨も食べられるようにしておいてやる方が感謝されるのではないか? そのために,今,講じ得る手立てについて知恵を出し合っておく方が良いのではないか? 皮肉になるのかどうか,タイトルに掲げた歌の題名は「鉾(ほこ)をおさめて」であった。

ヴィンテージ・スタインウェイのおはなし:⑩   by 坂上麻紀

④~⑥で述べたように,ヴィンテージ・スタインウェイは微妙な歪(ひず)みを持つ鉄骨(特にバー群)と良質な木材から作られたリムに由来する個性豊かな発声能力を特徴とします。最終回となる⑩ではこれにまつわるおはなしの補足をさせて頂きます。

ヴィンテージ・スタインウェイの鉄骨は発声能力に深く係わる3つ機能を担ってます。響板を弾性的に支持しボディー全体からの発声を可能にすること,ハンマーの打撃による張力スパイクを柔らかく取り込みアタック・ノイズを抑えること,一旦吸収したアタック・エネルギーを弦全体へと放出し,低次部分音生成を促すこと……この3つです。

これらの機能は長いバー群を持つ大きなピアノの場合ほど強く現れるようです。とはいえ,第一次大戦終結後に製造された,もっと若いヴィンテージModel Dの中には演奏中に観察されるセンター・バーの共振がかなり弱々しくなっているものもあります。

1970年代以降の剛直な鉄骨を持つニュー・スタインウェイからはアタックノイズと硬質の発声が観察されるようになっています。

歴史的にみれば,ピアノとクラシック音楽の作曲家とは互いに競い合うような形で世代交代を重ねて来ましたが,その伝統はヴィンテージ・スタインウェイと同時代を生きたラフマニノフ(1873~1943)で途絶えてしまったようです。

スタインウェイ・ピアノの発声能力の歴史的変化を裏付ける客観的データとして,その整調基準の変更があげられます 。

私はNo.104611に施されたダンパー・鍵盤・アクション回りの徹底的なリビルドと整調を通じてそのことを教えられました。

鍵盤整調の終りにNo.104611の「打鍵距離」が47mmという“現行標準値”に変更されたのです。

打弦距離とは休止しているハンマー・ヘッドと弦の下面(したつら)との距離のことで,これが長くなれば(他の条件が等しいとして),ハンマーの加速時間(距離)も長くなり,レットオフ(ハンマー突き放し)時の最終速度は高められ,打弦エネルギーは増し,逆は逆になります。

そして,この作業が終了した時,私はピアノの声量低下に,がく然とさせられたのです。そこで,声量低下の原因を尋ねようと私はいくつかの文献を調べました。

打弦距離を具体的に載っている文献は案外少ないのですが,45mm,47~48mm,48mmといった値が見られました。

しかし,アメリカのWhiteは戦後の著作の中で,それが「ほとんど常に」1.875インチ=47.625mmとなるべきであるとした上,わざわざ注を付けて,「スタインウェイ・グランドにおいてこの距離は1.750インチになる」と書いていました 。

彼が語っている以上,これはニューヨーク・スタインウェイにかかわる数字なのでしょうが,1.750インチならたったの44.45mmです。

この数字はハンマー・ヘッドを硬化剤(ジュース)でカチカチに硬められたニューヨーク・スタインウェイならではの値のようです。

一貫して硬化剤を使用しないで来たハンブルク・スタインウェイにかかわるドイツの文献には47mm,47.5mmといった数値例が載っていました。

ハンブルク・スタインウェイで製造工程「合理化」のリーダーを務めたMatthiasはその著書の中で,それは47mmとされるべきであるが,最高音部ではトリルを容易にするため45mmに詰めてもよい,と書いています 。


M., Matthias, Steinway Service Manual. p.103 Figure 4(S.23, Ab. 4).

1981年に出版されたReibeholzの著書には打弦距離は47mmであり,決してこれを超える値に整調してはならない。経験的にはアフタータッチの確保が可能な場合にはこれを45mmに短縮しても構わない,と書いています 。

以上の点から,少なくとも1980~’90年代を通じてハンブルク・スタインウェイの整調基準は不変であり,標準の打弦距離は47mmであったと結論してよいでしょう。

ところが,Reibeholzの書に20年ばかり先立つ1963年,同じ出版社から出版されたDietzの著書では打弦距離について,小さいモデルS~Bにおいては4.6cm,大きいCとDにおいては4.9cmと明記されていたのです 。


F.,R., Dietz, Das Regulieren von Flügeln bei Steinway. S.44.

彼の著書の現役当時、製造台数の少ないC, Dの鉄骨は古い鋳造工程から生み出されていたのではないかと考えられます。それらの鉄骨は一足先に近代化された工程から送り出される量産機種,S~Bのそれよりもアタック・エネルギーの善用能力に優れており,長い打弦距離から生ずる大きな打弦エネルギーを活用できたのでしょう。

彼の書物は1963年の初版以降,’74年に新装版が,’81年にその重版が出版されています。そして,同じ’81年には同一の出版社から指示内容の違ったReibeholzの新著が刊行されているのです。

ピアノ自身の質的変容,恐らくC, Dの鉄骨鋳造における新しい技術の導入を前にしてDietzの著書は現行品整備マニュアルとしての役割を終え,その第3版はヴィンテージ・スタインウェイ整備マニュアルというほどの意味合いで少部数,発行されたのでしょう。

Dietzの著書から浮かび上がって来た打弦距離2mmの短縮はスタインウェイ・ピアノの戦後史にとって決定的に重要なデータです。それは間違いなくニュー・スタインウェイにおける音割れ対策をものがたる数字だからです。

ハンブルク・スタインウェイにおいては鉄骨の剛直化の結果,アタック・エネルギーがアタック・ノイズとして放散されるしかない情況が生み出されていたと見えます。

その結果,大形モデルは打弦距離2mmの短縮という変更を余儀なくされ,ほどほどのスペースでおとなしく弾かれることの多い中・小形モデルについては競合ブランドとの対抗を意識した声量アップのため,逆にこれを1mm延長されたのでしょう。

現行のハンブルク・スタインウェイにおいては一頃の製品のようなダミ声は幾らか抑えられています。しかし,その発声パワーの低下は否定できなところで,各方面からはこの点に対する執拗な批判が寄せられ続けています。

このようなピアノに適合する“新標準値”は当然のことながら弾性的な鉄骨とニューヨーク純正品ながらカチカチに硬化されていないハンマーを持つNo.104611には不適合な値です。そのような値が採用されたため,本来の発声能力が阻害された……以上が簡単なストーリーでした。

後日,No.104611は打弦距離49mmへの再整調によってそのパワーを取り戻しました。

業界内部では周知となっている事実を一つ受け売りしておきます。ハンブルク・スタインウェイは2007年頃,そのパワーの低下に対する各方面からの批判に応えるためキャプスタンとウィッペン・ヒールとに傾斜を与える昔の設計をもう一度行いました。これによって鍵盤ストロークを伸ばすことなくハンマーの加速度を増してやろうという狙いからでしょう。

その後,この時には打弦距離を49mmに戻すという回帰策まで指定されていたとの裏話まで聞かされました。

ところが,その結果,アタックノイズやハンマー加速度以前の問題として“鍵盤の初動が従来より極端に重くなって弾きづらい”という手厳しい批判が起こり,3年ばかりでフラット・ヒール付きの従前型アクションが再び使われ,打弦距離も47mmへと戻され,今日に至っているそうです。

打弦距離わずか2mm……この狭い空間をどうするか,そこに近代ピアノの定礎者スタインウェイ・ピアノの片方における劣化とそこからの再生の道の険しさとが表現されていたのです。ことの本質はニューヨーク・スタインウェイでも観察されていたことでしょう。

打弦距離49mmからの微妙な再整調や整音を通じてNo.104611の力量を見事に回復して下さり,技術にまつわる様々な業界事情まで教えて下さった調律家 Tさんは本年12月にご逝去なさいました。これまでのご恩を感謝するとともに,心からご冥福をお祈り申し上げます。

ヴィンテージ・スタインウェイのおはなし:⑨ 坂上麻紀

最後に,No.104611に使用されているその他の金具類をご紹介いたします。

目立つところから,最初はトップ・ヒンジです。写っている両方ともトップ・ヒンジというようですが,本来,呼び名の区別はあったはずです。色は金色(真鍮色:しんちゅういろ)ではなくホワイトです。

 ネジはマイナス・ネジです。プラス・ネジは第二次世界大戦中,アメリカで発明されたものですから,古いピアノの場合,マイナス・ネジの使用は当然のことです。

次に目立つのはライヤ・ボックス前面のペダルとペダル・プレートです。これもホワイトになっています。

 時代を感じさせられるのはライヤ・ボックスがフルカバー式となっていることです。

ロッドもホワイトになっています。後ろは開放されている方が整備しやすいでしょうが,微調整はロッドの上端で行いますからフルカバーでも大した支障はありません。

 最後はキャスターです。もちろん,色はホワイト。

今のフルコンのキャスターのようにダブルでベアリング入りといった重構造のものではなく,ごくシンプルなキャスターです。床の色が映っているので実際より赤みを帯びて見えています。

ヴィンテージ・スタインウェイのおはなし:⑧ 坂上麻紀

ここからはピアノの発音に直接は関係しない金属部品類を取り上げさせて頂きます。今回はやや地味なネジのおはなしになります。

次の写真はラグスクリューと呼ばれるネジで,鉄骨をリムの内側の段差部に固定している大きなネジです。

ラグスクリューというのは頭が六角になった大きな木ネジのことで,ピアノ部品としての固有の名称ではありません。

 この写真でネジの頭の何だかヌメッとした質感がお伝えできているでしょうか? ヌメッとしているわりに肌荒れもあるんですが……。

 もう一枚の方がよかったでしょうか? 実はこのような質感は水銀アマルガム法という何かの金属を水銀に溶かした後,水銀を抜いて金属層を残すメッキ法の跡らしいのです。

昔,歯科治療でアマルガムというのがあったでしょう? あの気持ち悪い 銀の詰め物。でも,歯科治療ではアマルガムを詰めた後,しばらく固く噛み合わせてから口をすすいで終わり,でしたが,クロムメッキではそういうワケには行かず,焼いて水銀を飛ばすという公害発生度満点の“焼着法(やききせほう)”と呼ばれる――仏像に施された金メッキなどの工法と同じ――メッキ法が用いられていました。

何回か重ねてメッキ層を厚くする施工法もあったようです。ごくまれに,古い建築部材の中にもそのような痕跡の見出されるものがあります。

 次の写真はノーズボルト・ナットと呼ばれるもので2箇所に使われています。これの頭にも手の込んだ装飾がされていました。

フルコンなんてお高い品物ですから,多少はゴージャス感!を魅せてくれてもいいですよね!

ヴィンテージ・スタインウェイのおはなし:⑦   by 坂上麻紀

ここからはピアノの発音に直接は関係ない話題になります。今回は,外から見ることが出来るところに打たれている刻印がテーマです。

下の写真は譜面台を下から支えるミュージック・フレームの裏側に打たれている製造番号です。

次はその横の方に打たれているD 254という刻印。スタインウェイ&サンズではアルファベットを年代表記に使い回していて,Dはその当時には1902年に配当された記号です。

アルファベットの中でもIやO,Qといった数字と紛らわしいものは,用いられないならわしでした。

254はその年の254台目のピアノという意味です。製造番号はピアノがほぼ完成した段階で各個体に与えられました。製造番号が配当される以前,製造工程で各部品がどのピアノのために製造されたものであるのかを特定する目的で与えられた部品の識別番号,それがD 254です。

下の写真はペダルを支えるライヤのステーであるライヤスティックのキー・ベッド底に設けられた穴に入る上端部近くという目立たない箇所に打たれた製造番号で,左右ともにあります。

それ以外の打刻箇所としてはキー・フレーム,キー・スリップ,キー・ブロック(右側),があります。キー・ベッドには製造番号のゴム印が押されています。

これほど多くの刻印やスタンプがあるスタインウェイは珍しいのですが,20世紀初めまでのスタインウェイ&サンズ社ではそうすることが普通だったということなのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴィンテージ スタインウェイのおはなし:⑥   by 坂上麻紀

続いてバー・シリーズの最後にバス・バーを観察してみましょう。演奏者側からこれを撮影しようとするとリムの内側面が邪魔をしてバーの軸からやや外れたアングルしか設定できないのですが,短めのピッチで蛇行しているような様子が見られます。

下の写真のように奥からのぞくとバーの軸に一致した視線で撮影することができます。

このアングルから見ると,蛇行がバス・バーの前半部で起こっていること,ノーズボルト・ナットに近いところでは僅かなねじれがあるような印象が見受けられます。

このようなバー群のひずみはその長手方向の剛直さを和らげます。過剰なアタック・エネルギー,アタックの際,弦に働く張力のスパイクはバー,鉄骨,そしてそれを取りまくリムがその変形を通じて吸収してくれることになります。

いったん吸収されたアタック・エネルギーはすぐに放出されますが,この放出は弦,特に低音弦の低次部分振動,つまり低次部分音という形を取ります。ひずみには個体差がありますから,低次部分音の生成にも当然,個体差が現れます。

“アタック・エネルギーを低音弦の低次部分音に”という変換,これこそは私たちが発見したヴィンテージ・スタインウェイ,フルコンの基本的特性です。

だからこそ,No.104611の低音部は一音を軽く打鍵した時にさえ地響きのような深い迫力のある重低音を出せるのです。

 

ヴィンテージ スタインウェイのおはなし:⑤   by 坂上麻紀

引続き,バーのおはなしですが,今度はクロスバーが主役です。演奏者側からはその右側にあるセンターバーも同時にご覧頂くことになります。このピアノではクロスバーもほんの少し曲がっていることがわかります。

ピアノの奥の方からの写真でも,ちょっとピンボケですが,その曲りはご覧頂けると思います。

演奏中センターバーやクロスバーに手を添えると,絶え間ない振動が伝わってきます。また,音の組合せがそうさせるのか,たまに“ビクッ”という強い振動を感じる瞬間もあります。

微妙にひずんだバーからくる鉄骨の弾性はピアノの発声能力を高め,ギャンギャン,ガラガラした汚いアタックノイズをおさえてくれます。

近代ピアノはを主な材料としています。近代ピアノの創成期には鉄の技術がほどよい役割をして,ピアノの発生能力を豊かにしてくれていました。

ハンブルク製ニュー・スタインウェイは一時期,鉄骨材料を硬めの鋳鉄に切り変えるという案を導入しました。

剛直なバーを硬い材料で作ったのですからアタックノイズは激増。その際に発生する弦の張力スパイクが災いして断弦も多発し,技術責任者はクビになったそうです。