主和音フォルテで終わります…………着陸時における航空発動機の空吹かし運転

飛行機は着陸滑走の途中,これでは所定の位置をオーバーせねば停止できぬと判断された際には発動機出力を急増させ,離陸・再上昇を試みることになる(Touch-and-go)。
ピストン航空発動機の全盛期にはそのための予備的手続きとしてプロペラの翅ピッチをあえて高速位置に起し,回転に対する抵抗(発動機負荷)を大とした上で滑走中に発動機を強く吹かし,着陸進入(アプローチ)と滑走の間,徐々に冷えて来た気筒温度の更なる低下を防ぐ,あるいはむしろ筒温を積極的に高めておくというウォームアップ動作が慣わしとされていた。
《小林 勝『内燃機關の取扱法及び試驗法』山海堂,1940年,164~165頁,参照》
制爆剤として航空ガソリンに添加される四エチル鉛は好ましくない燃焼生成物を随伴したから,この操作には四エチル鉛に由来する燃焼室内堆積物を機体が停止し発動機がアイドル運転を終えて切られる前に力ずくで吹き飛ばしてやろう,という狙いも込められていた。
《ピストン航空発動機技術史全般については拙著『ピストン航空発動機の進化 (上下)』大河出版,2019年(近刊)をご覧頂ければ幸いである》
この空吹かしによって勇ましい爆音が轟いても,機体の低い対気速度とプロペラ翅ピッチとが全く適合していないため,推力はほとんど発生しないが,減速率を高め着陸滑走距離を短縮させるパワー・ブレーキ作用は皆目,発動されなかった。
船の可変ピッチ・プロペラと同様にパワー・ブレーキ機能を体現する可逆ピッチ・プロペラが航空界で実用になったのは漸く第二次世界大戦も終末期を迎えた頃のアメリカにおいてであり,その本格的活用は同じくアメリカで戦後の事蹟に属する。そして,戦後,これが航空界全体に普及した。
この可逆ピッチ・プロペラはレシプロからターボ・プロップの時代へと引き継がれて行った。図はイギリス製可逆ピッチ・プロペラの広告写真。機体はヴィッカースのViscount 700,発動機はロールス・ロイスのDart 505型ターボ・プロップである。

       
P., Wilkinson, Aircraft Engines of the World 1952. N.Y., 1952, p.30.

今日,大形プロペラ機が着陸滑走時,フォルテの爆音を轟かせていれば,それは十中八九,否,ほぼ100%の確率でこのパワー・ブレーキの発動音であり,もちろん,それはターボ・ファン・エンジンにおける逆噴射(リバース)に対応する所作でもある。
また,YouTubeでは新明和工業の救難飛行艇US-2が水上を後退している動画を閲覧することができる。これも可逆ピッチ・プロペラあっての挙動である。→ https://www.youtube.com/watch?v=3V0x1YWIAc8
序でながら,自動車や自動二輪車においても停車後,エンジンを空吹かしする輩をまま見かける。これとて,未だしも自動車用ガソリンに四エチル鉛が添加されていた時代なら,航空発動機のマネとしてご愛敬であったかも知れぬ。それにしても,自動車用ガソリンに対するその添加量はごく僅かであったから,当時においてさえこの空吹かしに大した技術的意味は無かった。
まして,今それをやるなどハタ迷惑以外の何でもない。主和音フォルテで終わるのは音楽と大形機だけにして欲しいと願うばかりである。