ロックからスミスへ

―― イギリス18世紀音楽観の民族差別的構図 ――

Arthur Loesserはその著書Men, Women and Pianos A Social History (1954)の中でイギリスにおける18世紀的音楽観の定立についての興味ある所説を展開している[1]。以下ではこれに導かれつつ,彼が論じていない経済学の父 Adam Smithの著述との係わりをそこに絡め,標記に係わる素人ならではの私論を提示してみたい。

1.John Locke教育論(1693)の中の音楽

1642年に始まったイギリス清教徒(ピューリタン)革命においては伝来の音楽が抑圧され,宮廷や教会ではお抱え音楽家のポストが廃止されたり宗教的儀式の進行役をなしていたパイプオルガンの撤去や破壊,さらには劇場の取り潰しといった所業までが繰り広げられた。もっとも,その目的は音楽一般の抑圧ではなかったから大衆的なアマチュア音楽はむしろ興隆し,ヴァイオリンやギター,各種管楽器等が市井に流行した。1660年の王政復古もイギリス音楽におけるかような潮流を妨げはしなかった。もっとも,音楽への度を過ごした傾倒はジェントルマンにとっては避けられるべきことと説諭されていた[2]

イギリス政治思想史上の巨人,John Locke(1632~1704)などは1693年の著書の中で次のような議論を展開したものである。

音楽は,いくつかの点でダンスと類似性があると考えられており,何かの楽器を上手に演奏できることは,多くの人びとに高く評価されています。しかし,普通の演奏ができるようになるだけでも,子どもにとっては貴重な時間の多くを浪費することになるし,往々にして,風変わりな人たちと交際することにもなりがちなため,子どもには音楽をやらせないのがよいと考える人も少なくありません。また,才能もあり,仕事もできるという人たちのあいだでは,音楽に秀でた腕をもっていることを推奨され,高く評価されているような人はほとんど聞かないので,いやしくも教養の一覧表に入るすべてのたしなみのうち,音楽は最後に置いてもよいのではないかと思っています。わたしたち人間の短い人生では,あらゆることがらに熟達することはできませんし,また,わたしたちの精神は,どんなときも絶えず何かの学習に没頭しているわけにもいきません。……後略……[3]

これはビジネス志向の優越,大陸的表現を用いるならプロテスタンティズム,とりわけカルヴィニズム的倫理観,職業観を宣言した文章である。当然ながら,そのメダルの裏面には音楽をイギリス人女性の趣味,子供に習い事として,あるいは外国人職業音楽家に委ねるべきとするスタンスがあった。

2Spectator紙寄稿者の書簡(1711)から

Loesserは1711年12月26日,Spectator紙に寄せられた書簡を引用している。曰く:

……芸術における音楽的サウンドなどというものは詩歌における無意味な言葉と同然のものである。それゆえ,音楽は詩歌の心性を劣化させずには措かない。音楽は常に何らかの表現すべき激情ないし感情に発し,ヴァイオリン,声ないし他のあらゆる楽器は幼児のガラガラよりマシとも言えぬほどの慰みを提供するものである[4]

ここに表明されているのは上に観たロックのそれを遥かに凌駕する音楽蔑視観である。然しながら,当時,イギリス上流社会の女性と子供が係わるべき所作――Veblenの所謂「代行的余暇」のアイテム[5]――とされた音楽に対する需要がイギリス社会において途絶えていたワケでは決してない。そして,この時代,洗練された音楽をイギリス人に向けて職業的に提供していたのはイタリア人,ドイツ人に代表される外国人である。

その端緒は17世紀から拓かれていたが,18世紀のイタリアは世界一の音楽輸出国であり,主としてヴェネチアから中央ヨーロッパへと音楽家が進出した。音楽の様式,音楽用語,音楽界の慣習に今日まで続くイタリア語,イタリア的様式が定着したのはこのためである。従前,フランスの影響が強かったドイツにおいてもイタリア的要素が摂り入れられ,融合が図られている。イギリスは大陸音楽家にとって格好の移住ないし出稼ぎ先であった[6]

イギリスでは17世紀末より外国人音楽家の雇用が盛んになっており,イタリア人歌手のロンドンでのコンサートがしきりに開催されていた。1710年以降,イタリア・オペラはロンドンに定着するが,これには作曲家Georg Friedrich Händel(1685~1759:独→伊→英)が係わっていた。彼は後にイギリスに帰化することになる。大バッハの息子Johann Christian Bach(1735~’82)がイギリス初のピアノコンサートを催したのは1768年のことであるが,彼は作曲家Carl Friedrich Abel(1723~87)とともに’65年から’81年にかけて一連のコンサートを主催している。世紀末には大作曲家Franz Joseph Haydn(1732~1809)も2後に亘って長期のイギリス・ツアーを行っている[7]

3.Philip Dormer Stanhope(4Chesterfield伯爵)の書簡(1749)から

Loesserは先の引用に続けて第4代チェスターフィールド伯爵Philip Dormer Stanhopeが当時,ヴェネチアを訪れていたその非嫡出子に当てた1749年4月19日付の手紙を紹介している。曰く:

君が今,歌唱やヴァイオリン,管楽器の演奏が共通の話題であるのみならず主要な関心事であるような音楽の国に滞在しているので,私は君が大抵のイギリス人がイタリアを旅する際,そうなるような程度にその種の愉楽(音楽は通常,リベラルアートに含められるが,私はそうは言いたくない)にふけることに対して苦言せざるを得ません。君が音楽を愛するなら,聴き手になりなさい。オペラやコンサートに出かけ,そして音楽家に支払って君のために演奏させ,自らヴァイオリンや管楽器を演奏したりせぬこと。演奏にふければジェントルマンは軽薄な卑しむべき心情にかられ,不良の仲間入りし,さもなくばヨリ善用されていたであろう時間を浪費してしまう。コンサートの一員としてあごの下にヴァイオリンを構えたり管楽器をくわえている君を見ること以上に私の心を痛めさせることはほとんど無いのです[8]

これは成人男子にとって音楽は一消費財たるべきモノであり,趣味の対象ですらあってはならないという率直な諭しであり,明らかにロックの所説に沿う主張となっている。

Loesserに拠れば,その派生的帰結がイギリスにおける楽器製造業の変貌……イギリスの職人から移民への担い手交代である。17世紀には多くのイギリス人のヴァージナル,ハープシコード製作者が活躍していた。しかし,18世紀半ば以降,斯界の担い手は外国人,とりわけドイツ系の工匠たちに取って代わられた。ドイツ移民であるJacob Kirchmann改めKirkmanやスイス移民であるBurkhart Tschudi改めBurkat Shudiあたりがイギリスにおけるハープシコード製作者の代表となったのである[9]

4.Adam Smithの賃金論(1776)から

ややあって,ロックの所説を経済理論(?)の形で表現し直して見せたのが経済学の父,グラスゴー大学道徳哲学教授 アダム・スミス(1723~’90)である。その主著『諸国民の富』の第1編 第10章の所謂,賃金論の職種の相違に起因する賃金格差を扱った箇所においてスミスは次のように述べている。

いくつかのきわめて快適で美しい才能は,それをもっているとある種の賞賛を博することになるが,しかしそれを利得のために行使すると,理性からか偏見からか,一種の公然の売春とみなされる。したがってそうした才能を利得のために行使する人びとの金銭的補償は,そうした才能を行使することにともなう不名誉を償うにことたりるものでなければならない。俳優,オペラ歌手,オペラ・ダンサーなどのけたはずれの報酬は,この二つの原理にもとづいている。すなわちその才能が稀少で美しいものであること,その才能をこのようなしかたで使うことへの不評である。われわれが彼らの人格を軽蔑し,それでいて彼らの才能にもっとも潤沢な報酬を与えるのは,一見ばかげているようにみえる。しかしわれわれは,一方のことをするときは,必然的に他方のことをしなければならないのである[10]

要するに,職業音楽家・ダンサー等の高報酬を説明する「二つの原理」の一方は才能の稀少性,他方は名誉ないし体面にあり,とのお墨付きである。無論,後者は単なるアマチュアリズム一般の表明ではなく,ロック以来のカルヴィニズム的な,神に顔向けできるビジネスを最優先させよという教えを戒めを込めたニュアンスの下に再定式化したモノに他ならない。

もっとも,ビジネスなどという観点を持出すなら職業音楽家であれプロ・アスリートであれ,それぞれの天職たるビジネスに勤しむワケであるが,稀少な才能を行使して金儲けに当ることが殊更,下品であるとのご託宣のようである。

では,そこに伏在しているのは「きわめて快適で美しい才能」への単なる妬みに類する社会通念であったのであろうか?

そうではなかろう。読者諸賢にはとうにお察しのとおり,18世紀のイギリスにおいて左様な職種,とりわけ職業音楽家部隊の主力は外国人,とりわけイタリア人やドイツ人によって担われていた。してみれば,「公然の売春」,「不名誉」,「不評」,「軽蔑」といった悪口雑言はスミスが職業芸術家一般に対してでも少数のイギリス人の職業芸術家に向けてでもなく,イタリアやドイツなどから移住して,あるいは出稼ぎに来ていた多くの外国人音楽家を固有の標的として発したそれであろうとの結論になる。つまり,「きわめて快適で美しい才能」の職業的行使に係わるスミス賃金論には第3の原理として民族差別的バイアスが仕込まれていたというのが唯一,正しい理解である。

[1] cf., Loesser, ibid., pp.209~215.

[2] 『ニューグローヴ世界音楽大事典』第1巻,イギリス,芸術音楽の項,493~495頁,参照。

[3] John Locke, Some Thoughts concerning Education.§197より。訳文は北本正章訳『ジョン・ロック「子どもの教育」』原書房,2011年,271頁。なお,原題についてLoesserはonと表記しているが(p.209),正しくはconcerning。引用中の「子ども」はyoung man。

[4] cf., Loesser, ibid., p.212. 筆者による意訳。

[5] ヴェブレン『有閑階級の理論』(岩波文庫,ちくま文芸文庫,講談社学術文庫),参照。

[6] 『ニューグローヴ世界音楽大事典』第1巻,イタリア,芸術音楽の項,537頁,第11巻,ドイツ,芸術音楽の項,370~374頁,参照。

[7] 『ニューグローヴ世界音楽大事典』第1巻,イギリス,芸術音楽の項,495頁,参照。

[8] cf., Loesser, ibid., p.213. 筆者による意訳。

[9] cf., ditto., p.215.

[10] 水田 洋監訳・杉山忠平訳『国富論』(1),岩波文庫,2000年,188~189頁,より。