音楽と蒸気タービンの翼車振動測定

日本海軍における蒸気タービン設計技術の進歩は翼車振動への関心の高まりという形で始った。そして翼車の固有振動数が測定され,その結果が或る程度設計に反映されるようになる。妙高型一万トン級巡洋艦の計画当時は世界的に翼車振動への関心が高まっていたが,その端緒は陸用大型タービンにおける翼車バースト(飛散)事故を経験したGeneral Electric Companyの著名な技術者W., Campbelが1924年に発表した記念碑的論考にあった[1]

翼車振動には①:ディスク全体が軸方向にペコペコ振動し波紋を描くような振動,と,②:ディスク周縁部が円周方向に波打つ振動とに類別される。振動する物体にあって振動しない部分を節,最大振幅点を腹と呼ぶが,①において節は円となる。この節円(ノーダル・サークル)が1個である最も単純なペコペコ振動はパラボリックないしアンブレラ振動と呼ばれる。節円が複数あれば,それらは勿論,同心円となる。②の場合,節は直線を呈し,具体的には節直径(ノーダル・ダイヤ)となる。舶用蒸気タービンは事業発電用のそれに比して著しく小さく,ディスクの剛性も高く設計されるため,問題になるのは主として後者である。これを節直径3つを有する振動を例にとって視覚化したのが朝永研一郎の書から採った次図(平面図と円周の直線展開図)である[2]

 節直径3個を有する翼車の振動

朝永研一郎『熱力學・蒸汽タービン』日刊工業新聞社,改訂版,1956年,165頁,第72図。

 

翼車固有振動数の測定に関して『帝國海軍機關史』は:

元来コレ等ノ運動体ハ何レモ其ノ大サ形状等ニヨリ材質固有ノ自然震動ヲ有スルモノニシテ偶外部ヨリヂスターバンスガ其ノ自然震動数ト周期ヲ同フスル場合ニハ同調シテ運動体ノ震動ノ振幅ハ著シク大トナリ其ノ結果物体ハ破壊スルニ至ル従来ノ翼故障ノ多クハ其ノ断面組織極メテ密ニシテ断面収縮ナキ状態ヲ呈シ居リコレ等ハ何レモ震動ニ起因シテ切断セルモノニシテ震動ニ依ル翼ノ欠損ヲ生ゼシメザル為ニハ先ヅ以テ翼車ノ計画ヲ吟味スル必要アリ即翼車ニハ充分ノスチフネスヲ有セシムルコト重要条件トナレリ

数年前迄ハ震動ニ対シテハ多ク注意ヲ払ハザリシガ昭和初頭ノ頃ヨリ翼車計画ニ際シテハ是ガ自然震動数ノ計測ハ欠クベカラザルモノトセラルルニ至レリ[3]

と述べているが,日本海軍の艦本式タービンの定礎者にして最後の艦政本部長を務めた渋谷隆太郎は翼車固有振動数の測定についてヨリ詳しく,次のように述べている[4]

   ……翼車の振動数を測定する方法として色々の案が考えられた。旧海軍横須賀工廠では海兵団の楽隊長に依頼して楽譜から振動数を推定した。旧舞鶴海軍工廠では特殊の弦を作り,それに共鳴せしめ計算から振動数を出すことを考えた。所が其の後スイスから帰朝した石川島造船所の行員神野(信一)氏がエツシヤーウイス社では電磁的に翼車振動数を測定して居たと云う話をしたことにヒントを得て,旧横須賀工廠長浦造兵部に依頼し,電磁的に翼車振動数の測定法を考案したことに端を発し,各工廠に於て電磁的に翼車振動数の測定が行われるようになったのである【強調引用者】[5]

つまり最初は軍楽隊隊員の絶対音感による音楽的評価法,次に弦を共鳴させてこの弦の振動数を計算にて求めるという音響学的方法,水平に置いた翼車に電磁的方法によって様々な周波数の振動を与えて行き,その上に撒かれた砂の集散を見て共鳴点と振動パターンを見出す方法が用いられたワケである。前図上の平面図にはこの砂の分布が表現されており,砂は腹の周辺部から追われ,節の周辺部へと寄せ集められている。

音楽は振動に係わる最も古い芸術であると共に古典古代においては物理学の一分野をなしていた。翼車振動というタービン工学の要諦に係わる解明手段として音楽家の能力や音楽的アプローチが動員されたことは対象の本性に鑑みれば蓋し,当然の流れと言えよう。

もっとも,渋谷によれば,当時の日本海軍技術者による翼車振動研究にはパーソンズ・タービンの胴車部に動翼折損事故があまり発生していなかった事実に引き摺られ,衝動タービンにおける翼車振動を過剰に意識させられる彼らの姿が投影されていた。果せるかな,そのような海軍技術者たちは後年,第二世代艦本式タービンの翼車ではなく,翼車周縁に植込まれた動翼の円周方向2節振動なる現象に足許を掬(すく)われることとなる。これが所謂,臨機調問題の核心であるが,流石にこの辺りの問題は音楽家や機械屋ではなく,物理屋によってのみ解明されるべきモノとなっていた[6]

タービン動翼の基本的振動パターン

朝永同上書,167頁,第74図,(Ⅰ)。

[1] cf., The Protection of Steam-Turbine Disk Wheels from Axial Vibration(G.E. Review, 1924, Transactions of the A.S.M.E. Vol.46, 1924.『機械學會誌』第29巻92号[1924-12]に抄録あり).

[2] 朝永研一郎(1892~’51)は東京帝国大学→海軍(~造機少将)→東京帝大教授→公職追放の後,千葉工業大学,法政大学教授。この書物は「主として旧海軍における経験実績に基づいて記述」されたもので,「序」には海軍の先達,牛丸福作(1882~1956),渋谷隆太郎への謝辞が見られる。本書は生産技術協会が刊行した『舶用蒸気タービン設計法』,『蒸気タービン工作標準』,『旧海軍艦艇蒸気タービン故障記録』,『舶用機関取扱法』等のダイジェスト的内容を有している。

[3] 本書は原著出版年不明、海軍省軍務局編と言われる機密資料。原書房復刻版(上下+別冊) 1975年。引用箇所は下巻594、599頁。

[4] 渋谷隆太郎(1887~1973)は(横須賀)海軍機關學校,海軍工機學校,海軍大學に学び,艦政本部第五部部員を振り出しとして横須賀,舞鶴,呉,廣工廠勤務や海軍大學・海軍機關學校教官(兼担)、海軍技術研究所理學研究部長といったキャリアを交えながら艦政本部第五部にあってはタービン班長,計画主任に累進、1940年に機關中将となり,1944年11月,第27代艦政本部長の地位に就き,そのまま敗戦を迎えた。戦後は生産技術協会を組織し,海軍造機技術や本邦技術界の失敗経験を戦後産業界の共有財産とすべく尽力した。

[5] 『旧海軍技術資料 第1編(2)』107~108頁,より。

[6] 臨機調問題を含め,舶用蒸気タービン技術史については拙著『舶用蒸気タービン百年の航跡』ユニオンプレス,2002年,参照。なお,翼車振動については蒸気動力技術史一般についての拙稿「蒸気動力技術略史」(JAIRO→坂上茂樹)87頁,図4-27の辺りもご参照頂きたい。