線路は続くよどこまでも……タイヤとレールのお話

機関車トーマスの映画の中でカタキ役のディーゼルが“線路は続く~よ,ど~こまでも♪ ヘッ,どこまでも続く線路なんてあるかい ”とうそぶくシーンがあった。

確かに,どこまでも続く線路などあるハズもないが,終端を持たぬ線路ならアチコチに実在する。丸い線路がそれである。山の手線や大阪環状線,遊園地の線路などがそれである。もっとも,丸いとはいえ,それらはアリストテレスの運動論ばりの真円ではない。曲線が閉じているだけである。

以下に紹介するのはそのような営業を目的とする“果てのない線路”ではなく,研究を目的として敷設され,世界的に評価される実験結果をもたらした“果てがなく,かつ真円であるような線路”にまつわるお話である。所は日本(大阪市此花区),時は大正末期から昭和初期。

鉄道車両の車輪には古くからタイヤ(外輪)と呼ばれる金属製の輪が用いられていた。摩耗すればこれを取外し,ホイール・センター(輪心)に新品のタイヤをはめ込む(焼嵌めする)。ホイール・センターもタイヤも,その材料は時代が下るほどに鋼が優越して来ていた。車輪がその上を転がるレールも鋼製が一般的となる。そして,タイヤやレールに用いれらる鋼種は安価な炭素鋼を相場とした。

タイヤ材料には当然ながら高い耐摩耗性・靭性・疲労強度が求められる。古くはタイヤが硬過ぎればレールの摩耗を増すと考えられ,線路屋と車両屋との間に不毛な対立のタネとなっていた。しかし,鐵道および住友製鋼所(現・新日鐵住金 製鋼所)における体系的な実験の結果,タイヤ材料の炭素含有率をある程度以上高くすることによってタイヤとレールの摩耗量が共に減少するという極めて重要な事実が突き止められた。

1921年に実施されていた鐡道省における予備的研究が摩耗試験機を用いた基礎研究であったのに対して,1923~’34年にかけて行われた住友製鋼所における実験研究は基礎研究および試験車両と試験軌道を用いた実験から成っていた。ここでの話題は後者である。

住友金属工業㈱『住友金属工業六十年小史』1957年、103頁、より。

住友製鋼所における模型電車を用いた試験は鐡道大臣官房研究所,鐡道省工務局,同工作局との共同研究として進められ,1926年3月に開始され’29年1月に終了した。円形軌道の諸元は直径24.4m,軌間430mm,レールは30kg/m,長さ10mであった。試験車は電動車と付随車との連結。何れも2軸車で車輪径280mm,重量2000kg。タイヤとレールの接触圧は鐡道省の機関車におけるそれにほぼ等しく設定されていた。走行速度は約11km/hであった。

様々なタイヤとレールとの組合せで行われた各試験において試験車両は円形軌道をいずれも8,000回りさせられた。一連の実験を通じて見出されたレールとタイヤの全摩耗重量をタイヤ種別に基準を置いて総括すれば次にようになる。

玉置光夫『鉄道車輛のタイヤ』国鉄長野工場,1959年,117頁,第7表。

タイヤとレールの摩耗状況を総括すれば,タイヤの摩耗は炭素含有率が最も高い第1種が最小で,第2種,第3種と続いている。レールの摩耗は第1種タイヤと組合せられた場合が最小となり,第2種,第3種と続いている。タイヤの摩耗量は炭素含有率に鋭敏に反応し,炭素含有率が高いほど少なく,レールの摩耗もタイヤの炭素含有率が高いほど少なくなっている。レールも炭素含有率が高いほど摩耗は少ないが,その相関はタイヤの場合ほど顕著ではなかった。何れの場合でもレールの摩耗量の方がタイヤのそれより大となっているが,その比はタイヤが硬くレールが軟らかい場合ほど高かった。

タイヤとレールの総摩耗量は試験番号6(硬いタイヤと軟らかいレールとの組合せ)で最小,同10(軟らかいタイヤと硬いレールとの組合せ)で最大となっている。次位は試験番号8(硬いタイヤと硬いレールとの組合せ)であった。かような実験結果は山手線の電車において観察される実際の摩耗の傾向とも一致していた。

なお,タイヤの炭素含有率が高く,レールの炭素含有率が低い場合,直線線路上でのレール頭部の摩耗が多くなることが別途,確認されていたため,タイヤの炭素含有率を高めるとともにレールの炭素含有率も程々に増してやることが得策との結論が得られた。

イギリスに範を求めた明治時代の鐡道省規格では硬めとされていた機関車動輪用タイヤ鋼は大正期に至って軟らかめとなり,八幡製鉄所製タイヤに激しい摩耗を生じたりしていたが,大正期から昭和初期にかけては諸外国のタイヤ材料規格を検討して再び硬めとなる兆しを示していた。そして,住友製鋼所における研究成果を踏まえ,鉄道輪軸のトップメーカー,住友製鋼所製タイヤ鋼の炭素含有率は実勢として0.5%台から0.6%台へと漸増させられるに至った。もっとも,国鉄のタイヤ鋼規格に炭素含有率が明示されるに至ったのは1959年からであり,そこでは炭素含有率は更に引上げられ,0.60~0.75%と定められていた。

この項についてのヨリ詳しい情報は玉置前掲『鉄道車輛のタイヤ』,広重 巖『輪軸』交友社,1971年,拙稿「20世紀前半アメリカの鉄道輪軸について(1/2)」(http://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBb1170101.pdf ),参照。なお,目下,「本邦鉄道車両用タイヤ技術史」を準備中である。