ヴィンテージ・スタインウェイのおはなし:⑦   by 坂上麻紀

ここからはピアノの発音に直接は関係ない話題になります。今回は,外から見ることが出来るところに打たれている刻印がテーマです。

下の写真は譜面台を下から支えるミュージック・フレームの裏側に打たれている製造番号です。

次はその横の方に打たれているD 254という刻印。スタインウェイ&サンズではアルファベットを年代表記に使い回していて,Dはその当時には1902年に配当された記号です。

アルファベットの中でもIやO,Qといった数字と紛らわしいものは,用いられないならわしでした。

254はその年の254台目のピアノという意味です。製造番号はピアノがほぼ完成した段階で各個体に与えられました。製造番号が配当される以前,製造工程で各部品がどのピアノのために製造されたものであるのかを特定する目的で与えられた部品の識別番号,それがD 254です。

下の写真はペダルを支えるライヤのステーであるライヤスティックのキー・ベッド底に設けられた穴に入る上端部近くという目立たない箇所に打たれた製造番号で,左右ともにあります。

それ以外の打刻箇所としてはキー・フレーム,キー・スリップ,キー・ブロック(右側),があります。キー・ベッドには製造番号のゴム印が押されています。

これほど多くの刻印やスタンプがあるスタインウェイは珍しいのですが,20世紀初めまでのスタインウェイ&サンズ社ではそうすることが普通だったということなのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴィンテージ スタインウェイのおはなし:⑥   by 坂上麻紀

続いてバー・シリーズの最後にバス・バーを観察してみましょう。演奏者側からこれを撮影しようとするとリムの内側面が邪魔をしてバーの軸からやや外れたアングルしか設定できないのですが,短めのピッチで蛇行しているような様子が見られます。

下の写真のように奥からのぞくとバーの軸に一致した視線で撮影することができます。

このアングルから見ると,蛇行がバス・バーの前半部で起こっていること,ノーズボルト・ナットに近いところでは僅かなねじれがあるような印象が見受けられます。

このようなバー群のひずみはその長手方向の剛直さを和らげます。過剰なアタック・エネルギー,アタックの際,弦に働く張力のスパイクはバー,鉄骨,そしてそれを取りまくリムがその変形を通じて吸収してくれることになります。

いったん吸収されたアタック・エネルギーはすぐに放出されますが,この放出は弦,特に低音弦の低次部分振動,つまり低次部分音という形を取ります。ひずみには個体差がありますから,低次部分音の生成にも当然,個体差が現れます。

“アタック・エネルギーを低音弦の低次部分音に”という変換,これこそは私たちが発見したヴィンテージ・スタインウェイ,フルコンの基本的特性です。

だからこそ,No.104611の低音部は一音を軽く打鍵した時にさえ地響きのような深い迫力のある重低音を出せるのです。

 

ヴィンテージ スタインウェイのおはなし:⑤   by 坂上麻紀

引続き,バーのおはなしですが,今度はクロスバーが主役です。演奏者側からはその右側にあるセンターバーも同時にご覧頂くことになります。このピアノではクロスバーもほんの少し曲がっていることがわかります。

ピアノの奥の方からの写真でも,ちょっとピンボケですが,その曲りはご覧頂けると思います。

演奏中センターバーやクロスバーに手を添えると,絶え間ない振動が伝わってきます。また,音の組合せがそうさせるのか,たまに“ビクッ”という強い振動を感じる瞬間もあります。

微妙にひずんだバーからくる鉄骨の弾性はピアノの発声能力を高め,ギャンギャン,ガラガラした汚いアタックノイズをおさえてくれます。

近代ピアノはを主な材料としています。近代ピアノの創成期には鉄の技術がほどよい役割をして,ピアノの発生能力を豊かにしてくれていました。

ハンブルク製ニュー・スタインウェイは一時期,鉄骨材料を硬めの鋳鉄に切り変えるという案を導入しました。

剛直なバーを硬い材料で作ったのですからアタックノイズは激増。その際に発生する弦の張力スパイクが災いして断弦も多発し,技術責任者はクビになったそうです。

ヴィンテージ スタインウェイのおはなし:④   by 坂上麻紀

今回から⑥までの3回は鉄骨のバーについてのおはなしです。まず,スタインウェイの鉄骨各部の名称を紹介させて頂きます。

モデルはBです(B-211といった長さの数値を添えるのはハンブルクの流儀で,ニューヨーク・スタインウェイなら単にBと表示します)。この図にはプレート・ホールの名前が抜けていますが,これについてはおわかりですね?

複数のバーが鉄骨を支えています。そして,ピアノの鳴り,ピアノの振動しやすさ,鉄骨の振動しやすさを左右するのはウェブ(プレート)ではなく,これらのバーなのです。スタインウェイの鳴りの鑑定法にリムへのノックと並んで,あるいはそれ以上に常用されるやり方はクロスバー,またはセンターバーを握りこぶしの小指側で軽く叩くことです。バスバーには大屋根を外さない限り,手が届きません。

この時,鳴りの悪い個体はゴンと音を発するだけ。これに対して,鳴りのよい個体はボ~~ンと重低音を発して長い響きを聞かせてくれます。

もちろん,その際には弦も響板も振動しているのですが,それらを十分に振動させているのは軽打されたバーで,鉄骨なのです。

なぜ,自らそのように振動し,他を振動させるのでしょうか? その秘密はバーのごく微妙な曲りやねじれにあります。

次の写真は後方から撮ったセンターバーの写真ですが,その湾曲の様子がわかりますよね。ほんの少しねじれているようにも見えます。

もう少し視点を下げると一層,その湾曲が誇張されてよくわかるでしょう。ヴィンテージ スタインウェイのバーは一見,まっすぐなようですがそうではなく,微妙に湾曲したりねじれたりしているのです。そして,その状況には個体差があります。皆,同じように変形しているのではないのです。

まっすぐに見えるニュー・スタインウェイのバーはこのような角度から見てもまっすぐです。それは,詳しいことは別のところで述べていますが,鋳造方法,鋳造技術が違うからです。

機械部品のモト(粗形材と言います)をきっちり作るなら,新しい鋳造法の方が優れています。

しかし,ピアノの鉄骨は微妙に曲がったりねじれたりしている方が弾性があって振動しやすく,そのことがまたピアノをよく響かせてくれるのです。

正確,剛直なバーはピアノの振動,つまりその鳴りを弱くするだけでなく,実はアタックノイズを激しくしてしまうのです。

ヴィンテージ・スタインウェイのおはなし:③   by 坂上麻紀

ヴィンテージ・スタインウェイにはその鉄骨に様々な文字や模様で飾られています。鋳物の製作上,これは面倒なことなのです。

この写真のバー(ダイヤゴーナル・バー)にはSTEINWAY  FOUNDRY STEEL CASTINGの文字が浮かんでいます。

これは今,普通に言う鋳鋼(キャスト・スチール:ちゅうこう)の意味ではありません。この言葉の本当の意味につきましては,すでに別のところで詳しく解説させて頂いておりますのでご覧下さい。

各バーの名称につきましてもそこに書いていますが,この続編 ⑤でもまた,お見せすることにします。

文字や数字,それに数珠玉模様はヴィンテージ・スタインウェイの鉄骨のいたる所にみられます。プレート・ホールの周りにも数珠玉模様があります。新旧のスタインウェイではこれの有無だけではなく,ホールの直径も違っています。

このピアノにはレストプランク・ウェブと呼ばれるピンブロックを抑える部分の鉄骨にも様々な文字が浮かんでいます。

それらはスタインウェイ&サンズ社が取得した特許を書き並べたものです。当時のアメリカではピアノ会社は取得した特許を鉄骨に明示するよう義務付けられていました。

やがてその規制は緩和され,面倒な工作を要する文字表示は衰えて行きました。鉄骨に沢山文字のあるスタインウェイほどよいピアノ,という力説なさる方がいらっしゃいます。

これは鉄骨に浮き彫りにされた文字や数字が製造年代を表す印の意味を持っているからです。

 

 

 

ヴィンテージ・スタインウェイのおはなし:②   by 坂上麻紀

スタインウェイピアノは製造番号からその製造年がほぼ特定できます。しかし,No.104611についてはスタインウェイ&サンズ社に問い合わせてみました。

すると,このピアノは1902年2月14日にN.Y.のディットマーズ新工場で完成し,同年10月18日,最初の買い手であるピアノメーカー,エオリアン社に販売されたことを教えられました。

エオリアンがこのピアノを購入した意図は同社の自動演奏装置ピアノラをスタインウェイのフルコンに装備するための試験台にするためであったようです。1913年,この企画はスタインウェイとエオリアンとの合作“デュオアート”としてデビューすることになります。

このピアノには年月日の記載箇所が3箇所,ありました。一つは鉄骨の奥の端で,写真のように,これは見たままの画像ですが,21/11.01  4126という浮き彫りがあります。前の方は1901年11月21日でしょう。後ろは1901年に造られた4126個目の鉄骨ということでしょう。

2つ目の年月日記載はピアノのお腹(ベリー)の奥,アクションの向こうにあるダンパー・アンダーレバー・アッシーにありました。こちらは1901年11月19日となっています。この部品は今では取り外され,現行品に置き換えられ,取り出されたオリジナルは展示(?)しております。

3つ目の年代表記として,打弦機構であるアクションを支えるアクション・ハンガーの演奏者から見て左後の足許に“1906”という数字が打刻されています。

これはエオリアンで様々な改造が試みられた後,1906年以降にこのピアノが普通の状態に戻された上で二番目の買い手を求めて売りに出されたことを物語っているように感じます。

ヴィンテージ ・スタインウェイのおはなし:①   by 坂上麻紀

古いピアノはとてもよく鳴る! スタインウェイについては特にそう言われています。

もっとも,今のスタインウェイ,特にフルコンであるDの基本設計が固まったのは1884年なので,それより前のDや他のモデルはアーリー・スタインウェイと呼ばれています。

普通にはそれ以後,それも戦前期の作品が最もヴィンテージの称号にふさわしいスタインウェイとみなされているようです。

1902年,ニューヨーク.製のD,No.104611を例にあれこれお話いたします[1]

鳴りのよいピアノとはどんなピアノなのでしょうか?たとえば,大屋根を全開にしたこのピアノの横で大声を出すと,このピアノはウォーンと共鳴音を発し,びっくりさせられます。クシャミをすると同じように,ファックション!と反応します。

このピアノの下に寝て“アッ”と声を出すとこのピアノは長~い残響を発し,深い井戸の中に向かって叫んだ時のような気分にさせられます。

鳴りのよいピアノとは,共鳴しやすい,振動しやすいピアノということになります。

このピアノのリムを内側から指の第一関節をそろえて軽くノックすると驚くほどよくコンコンと響きます。このピアノはそれだけ振動しやすい体をもっているのです。

振動しやすさのポイントは2つあります。ピアノの体であるリムとその中に収められた鉄骨です。

弦が振動するのは当り前ですが,弦の振動はコマを経て響板に伝えられて音になります。

そして,響板をよく振動させるのはそれを支えるリムと鉄骨の役割なのです。今回はリムについてだけ説明いたします。

リムは巨木(年代によってその樹種は異なります)を5mmぐらいの厚さに挽いた長くて薄い板をニカワを塗って何枚も貼り重ねてからピアノの外形に合せて一緒に束ねたまま曲げたものです。

使用される木は南向きの水はけの良い緩斜面で成長した第一世代林(処女林)の木が最適とされてきました。その中から均質な,長く節のない材が選ばれました。

急斜面に生えた木は倒れないようにその幹を反ろうとしますので,まっすぐな部分でもその内部には余分な力が働いていて,それが素直な振動を妨げようとします。

水はけの悪い土地で育った木は水分を多く含み,乾燥させてもなかなか芯まで乾きません。節があるとその辺りは硬くなり材質が不均一になりますから素直な振動は妨げられます。

しかし,いくら自然が豊かなアメリカでも,現在に近づくほど良材は乏しくなってきました。自然乾燥に費やされた時間も長く,その間に材質の改善が求められました。

こんな理由で,良材をふんだんに用いられた時代に造られたピアノほどリムの鳴りがよいということになります。

では,外から見える特徴を少し……。

ヴィンテージ・スタインウェイの中でも古い時代のものの特徴はダブル・ビーデッド・モールです。昔はこんな手間ひまかけた工作が当然のことでした。

ニューヨーク. スタインウェイでも20世紀初頭のものはアームの端が丸くなっています。その後,ここは角ばったデザインになりました。

製造番号とリビルダー名のスタンプです。

1920年代半ばまでのヴィンテージ スタインウェイ,それも多分Dと少し小さいCだけの特徴としてブリッジ・ピンの斜め打ちがあげられます。高音部ユニゾン3弦のピンは一般的な弦に直角ではなく,やや斜めに配列されています。

これは打弦の際のアタックノイズを抑えるための工夫のようですが,やがて普通の打ち方になりました。左下は1997年にこのピアノをリビルド(響板貼り替え)した工房のスタンプです。響板は90年もたつと粘りが失われて音に力感がなくなるからです。

厚さも塗装も薄いので,響板はピアノの大物部品の中では劣化しやすいのです。

[1] ヨリ詳しいことは私たちの http://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/111C0000001-59.pdf をご覧下さい。

エンジンの四拍子……最初期の光学式インジケータ“Manographe”に寄せて

四拍子は言うまでも無く誰もが知っている拍子である。この四拍子でタクトを振る時のやり方(先端の軌跡)は,実際にはかなり変種もあるようであるが,一例を挙げれば次のような絵柄となる。

『ニューグローヴ世界音楽大事典』第7巻,指揮の項,11.図,より。

四拍子と聞くと,私などは内燃機関の4サイクルを連想してしまう。そして,自動車用4サイクル・ガソリンエンジンの作動室容積(ピストン位置)と作動室圧力との相関は例えば次のようなインジケータ線図として表現され,これが当該エンジンの四拍子となる。どうも人間にとっては肝心なところで力が入らず,あまり振り易くないようではあるが……。

P.,M., Heldt, High-Speed Combustion Engines. N.Y,. 1941, p.665 Fig.19. 元図は1912年,ClaytonによってJournal of the American Society of Mechanical Engineers誌に発表。

横軸は比率で表された作動室容積,縦軸は圧力である。縦軸の単位はLbs./in2になっており,15のところが大気圧に当る。それゆえ,ここをゲージ圧で “0”と表記しても良い。

もっとも,この図はそれ以外の理由からしても同類の中ではちょっと異色の存在である。つまり縦・横の軸を対数目盛にした図となっているのである。

1の吸入行程と4の排気行程とは圧力の値が低いため,何のケレンもなく普通に描けば,1と4とは押しつぶされたような,ほとんど重なったような線図となり,やや見にくくなる。対数目盛の使用はこれを避けるための工夫である。創案者もまさか彼の線図が四拍子のタクトを巡る雑話に引かれるなどとは思いもよらぬところであったろうが……[1]

インジケータ線図を採取する装置,それがインジケータである。それは自らの蒸気機関に対する診断装置としてJ., Watt(英:1736~1819)によって発明された機械に淵源を発する。その後,これを発展させ,高速で回転するエンジンに適用可能な装置とするため様々な試みがなされ,原点をなす機械式に加え光学式,電気式など,多くの高速インジケータが登場した。

それぞれのグループには多くの種類があり,光学式の中には長尾式,中西式のようなわが国の内燃機関工学研究者の創案になるモノもあった。電気式は一層多士済々であったが,一般論として機械式,光学式,電気式というのが重なりを生じつつも発展の順序であったと観て良い。現在はセラミックの圧電効果を利用する方式が全てを凌駕しているようである。

ところが,光学式インジケータの濫觴は思いの外古く,20世紀初頭,フランスにおいては既にその製品化を見ていたらしい。当時の書物に観る光学式インジケータの原理は図のようなモノであるが,音叉を説明の道具に持ち出しているところなど奥床しい限りである。音叉の振動に因ってその先端付近に取付けられた小さな鏡の角度がaだけ変化すれば,同一の入射光に対する反射光の角度変化は2aとなる。これがオプティカル・レバーである。等しい振動数を持つ音叉を組合わせれば,それらの振動は同調して4aに相当する角度変化が生れ,その結果はスクリーンEに投影される。

L., Marchis, Les Moteurs A Essence Pour Automobiles. Paris, 1904, p.57, Fig.10.

エンジン作動室の内圧をダイヤフラムを用いて検出し,その変位により鏡を傾斜させればオプティカル・レバーの働きで鏡の傾斜はスクリーン上に拡大投影される。この原理を用いた初期の光学式インジケータ,それがManographeと呼ばれた装置である。その基本構成を次に掲げる。Dは光源であるカーバイト(アセチレン)ランプ,eはピンホール,Eは直角プリズム,Fは凹面鏡,GHがスクリーンである。つまり,Manographeはオプティカル・レバーを1段用いる光学式インジケータであった。

ditto., p.65 Fig.16.

“Manographe要部は次図のようになっていた。凹面鏡Fの角度は管Tを通じてシリンダ内圧を受けるダイヤフラムMの動きを反映するとともに,ダイヤルJからのリンケージによって微調整された。

ditto., p.63 Fig.14.

Manographeの使用状況は次図の通りであった。シリンダ圧力は管Tを通じてこの装置へと伝えられる。クランク角を拾うため,クランク軸々端からボーデン・ワイヤのようなフレキシブル・シャフトSによりその回転が取出されている。右下は光源Dにガスを送るためのアセチレンガス発生装置である。

ditto., p.66 Fig.17.

“Manographeがどの程度普及したのかについては残念ながら詳らかではない。当時最新式,文献デビューしたての存在であったためか,出典の書籍にはこれを用いて採取された線図,つまり指揮者Manographeによる四拍子の図は掲げられていない。恐らく,それ程の普及実績は挙げられなかったのであろう。それでも,Manographeは光学式インジケータの嚆矢として,あるいは少なくとも最初期の例として技術史上,記憶に止められるべき存在であったのではなかろうか?

[1] 一般には線図のツブレを避けるため,吸入・排気行程は弱バネ線図とし,縦に拡大表示する。しかし,こうすると線図が錯綜して四拍子を表現しにくくなるのである。

線路は続くよどこまでも……タイヤとレールのお話

機関車トーマスの映画の中でカタキ役のディーゼルが“線路は続く~よ,ど~こまでも♪ ヘッ,どこまでも続く線路なんてあるかい ”とうそぶくシーンがあった。

確かに,どこまでも続く線路などあるハズもないが,終端を持たぬ線路ならアチコチに実在する。丸い線路がそれである。山の手線や大阪環状線,遊園地の線路などがそれである。もっとも,丸いとはいえ,それらはアリストテレスの運動論ばりの真円ではない。曲線が閉じているだけである。

以下に紹介するのはそのような営業を目的とする“果てのない線路”ではなく,研究を目的として敷設され,世界的に評価される実験結果をもたらした“果てがなく,かつ真円であるような線路”にまつわるお話である。所は日本(大阪市此花区),時は大正末期から昭和初期。

鉄道車両の車輪には古くからタイヤ(外輪)と呼ばれる金属製の輪が用いられていた。摩耗すればこれを取外し,ホイール・センター(輪心)に新品のタイヤをはめ込む(焼嵌めする)。ホイール・センターもタイヤも,その材料は時代が下るほどに鋼が優越して来ていた。車輪がその上を転がるレールも鋼製が一般的となる。そして,タイヤやレールに用いれらる鋼種は安価な炭素鋼を相場とした。

タイヤ材料には当然ながら高い耐摩耗性・靭性・疲労強度が求められる。古くはタイヤが硬過ぎればレールの摩耗を増すと考えられ,線路屋と車両屋との間に不毛な対立のタネとなっていた。しかし,鐵道および住友製鋼所(現・新日鐵住金 製鋼所)における体系的な実験の結果,タイヤ材料の炭素含有率をある程度以上高くすることによってタイヤとレールの摩耗量が共に減少するという極めて重要な事実が突き止められた。

1921年に実施されていた鐡道省における予備的研究が摩耗試験機を用いた基礎研究であったのに対して,1923~’34年にかけて行われた住友製鋼所における実験研究は基礎研究および試験車両と試験軌道を用いた実験から成っていた。ここでの話題は後者である。

住友金属工業㈱『住友金属工業六十年小史』1957年、103頁、より。

住友製鋼所における模型電車を用いた試験は鐡道大臣官房研究所,鐡道省工務局,同工作局との共同研究として進められ,1926年3月に開始され’29年1月に終了した。円形軌道の諸元は直径24.4m,軌間430mm,レールは30kg/m,長さ10mであった。試験車は電動車と付随車との連結。何れも2軸車で車輪径280mm,重量2000kg。タイヤとレールの接触圧は鐡道省の機関車におけるそれにほぼ等しく設定されていた。走行速度は約11km/hであった。

様々なタイヤとレールとの組合せで行われた各試験において試験車両は円形軌道をいずれも8,000回りさせられた。一連の実験を通じて見出されたレールとタイヤの全摩耗重量をタイヤ種別に基準を置いて総括すれば次にようになる。

玉置光夫『鉄道車輛のタイヤ』国鉄長野工場,1959年,117頁,第7表。

タイヤとレールの摩耗状況を総括すれば,タイヤの摩耗は炭素含有率が最も高い第1種が最小で,第2種,第3種と続いている。レールの摩耗は第1種タイヤと組合せられた場合が最小となり,第2種,第3種と続いている。タイヤの摩耗量は炭素含有率に鋭敏に反応し,炭素含有率が高いほど少なく,レールの摩耗もタイヤの炭素含有率が高いほど少なくなっている。レールも炭素含有率が高いほど摩耗は少ないが,その相関はタイヤの場合ほど顕著ではなかった。何れの場合でもレールの摩耗量の方がタイヤのそれより大となっているが,その比はタイヤが硬くレールが軟らかい場合ほど高かった。

タイヤとレールの総摩耗量は試験番号6(硬いタイヤと軟らかいレールとの組合せ)で最小,同10(軟らかいタイヤと硬いレールとの組合せ)で最大となっている。次位は試験番号8(硬いタイヤと硬いレールとの組合せ)であった。かような実験結果は山手線の電車において観察される実際の摩耗の傾向とも一致していた。

なお,タイヤの炭素含有率が高く,レールの炭素含有率が低い場合,直線線路上でのレール頭部の摩耗が多くなることが別途,確認されていたため,タイヤの炭素含有率を高めるとともにレールの炭素含有率も程々に増してやることが得策との結論が得られた。

イギリスに範を求めた明治時代の鐡道省規格では硬めとされていた機関車動輪用タイヤ鋼は大正期に至って軟らかめとなり,八幡製鉄所製タイヤに激しい摩耗を生じたりしていたが,大正期から昭和初期にかけては諸外国のタイヤ材料規格を検討して再び硬めとなる兆しを示していた。そして,住友製鋼所における研究成果を踏まえ,鉄道輪軸のトップメーカー,住友製鋼所製タイヤ鋼の炭素含有率は実勢として0.5%台から0.6%台へと漸増させられるに至った。もっとも,国鉄のタイヤ鋼規格に炭素含有率が明示されるに至ったのは1959年からであり,そこでは炭素含有率は更に引上げられ,0.60~0.75%と定められていた。

この項についてのヨリ詳しい情報は玉置前掲『鉄道車輛のタイヤ』,広重 巖『輪軸』交友社,1971年,拙稿「20世紀前半アメリカの鉄道輪軸について(1/2)」(http://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBb1170101.pdf ),参照。なお,目下,「本邦鉄道車両用タイヤ技術史」を準備中である。

チム・チム・チェリーによせて ―― 煙突雑考

以下に述べることは音楽にも工学にも素人,曲学阿世の妄言である。

煙突は古くて新しい,そして理想的な設計がなされる(蒸気機関車のそれのように短小なることを余儀無くされたりせぬ)場合には誠に強力な通風装置である。その通風力(根元に作用する吸引圧力)については古くからJ.,W., Reberによる式なるものがあった(そうな)。曰く:

h =H(ρaρw)-(1+0.09 H/D)v2ρw/2g ……旧式の表記で失礼

ただし:

h =煙突下部の通風力(mm水柱)

H =煙突の高さm

D =煙突頂部の内径m

ρa =外気温における空気密度kg/m3

ρw =煙突内におけるガスの平均密度kg/m3

v =密度ρwにおけるガスの速度m/s

g =重力加速度9.815m/sec2

この式は煙突内のガス温度が平均して1mごとに1~2℃ずつ下って行くような状況を想定しており,また,設計上,vは4.5~5.0mとなるように調節されることを常とした。あまりに速度を上げるとガスの流動抵抗が増し,却って不都合と考えられたからである[1]

さて,解らぬなりにReberの式を眺めてみれば,第1項は煙突の中にあるガスの柱に作用する浮力を表し,第2項はこの柱を上昇させる際に使われる運動エネルギに関係するようである。もっとも,ガスは密度が小さいから後者の値は高が知れている。

それかあらぬか,煙突の通風力zを立派に:

zh (γaγg )  mmAq

と表記する文献がある。それも権威ある日本機械学会の出版物である。記号こそ異なれ,その本質的同一性については容易に御了解頂けよう[2]

つまり,煙突の通風力はそこに収められた空気より軽いガスのある高さを持った柱に作用する浮力,即ち,ほぼその高さに因っているというワケである。また,煙突の外観は多くの場合,上に向って細くなっているが,これは強度への配慮からであり,その通風力の本源は決してホースから散水する場合のように出口を先細りに絞ることから生ずる加勢(圧力エネルギの速度エネルギへの変換)などにはないのである。

では,ロンドンが煙の都であった当時,ごく普通に用いられていた煉瓦造りの煙突,それも家庭の暖炉のそれなどではなく工場のそれは一体,どのような構造をしていたのであろうか?

残念ながら,次図は産業革命期のイギリスではないが,20世紀初期にアメリカで汎用されていた全高約30m,38mの工場用煉瓦積み煙突の断面図である(縮尺不同)。御覧のように,最下段にコンクリート,その上にぶ厚い花崗岩のブロックが据えられ,煙突本体はその上に構築されていた。そして,煉瓦積み煙突は耐熱性を考慮して2重構造に造られていた。しかも,その内部は先細りどころかずん胴になっていた。

Machinery’s Cyclopedia with 1929 Supplement. Vol.II, p.102 Fig.2, 3(本文は1917ないし’25年).

従って,ガスを通すその正味の内径は図体の割りには細かったワケである。内部のコアないしライナ(内張り)の背丈は煙突入口のガス温度が427℃以下の場合には煙突全高の20%以下,それを超えて649℃までならその50%程度,更に1093℃までなら100%とするのが常例で,その材料としては多孔質のラジアル煉瓦が用いられた。更に高温のガスに曝される煙突のコアには高級耐火煉瓦が動員された。コアは外壁によって支持されていたが,両者は構造的に一体化されてはおらず,コアが煙突全高に達する場合,コアと外壁の頂部は互いに結合されてはいなかった。もちろん,以上は全てコアの熱膨張を逃がすための策である。

意外に細い内径を有する,特にコアが途中で切れている煙突には石炭から出る煤やタールが堆積し,通風不良を来しやすかった。そこで活躍したのが煙突掃除夫である。図の煙突のコア内径は1.2mほどであったが,これよりずっと細い煙突もあった。いかに細くとも煙突の通風力はその全高によって決まる上,排煙拡散の必要から最低高さが規制されている地域が多かったから,細いから特に背が低いというワケではなかった。

このような煙突を掃除するには外からブラシを出し入れするぐらいで足りるワケもなく,単身コアの中に潜り込んで煤やシンダやタールをこそぎ落す作業が不可欠であった。細いコアに潜り込む掃除夫として最適であったのが児童である。紡績工場の補助労働ばかりでなく,工場煙突の掃除も貧困児童の働き場であった。産業革命は多数の児童の労役と使い捨てによって進行した。皮膚癌や陰嚢癌が煙突掃除「夫」の職業病であったと講義で聞かされたものである。

チム・チム・チェリーのメロディーをどのように演奏するかは奏者の裁量であろう。しかし,歴史を知ってしまえば,それは哀愁のメロディーであってこそ相応しい。仮令,明るく歌うにせよ,哀しみを突き抜けて明るく歌うのと根っからノーテンキなのとでは大違いではなかろうか?

[1] 燃料協会『実用燃料便覧』訂正版,丸善,1932年,431~432頁,参照。

[2] 『機械工学便覧』1951年版,13-72頁。なお,後にその表記法は単位がSI単位に改められたことにより,Z = h (ρaρg )g   Pa などとなっているが,意味は同じである。